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ヴィパッサナー瞑想

■パーリ語のヴィパッサナー(vipassanaa、サンスクリット語ではvipashanaa)は、vipassati(観る)の名詞形で、中国語・日本語では「観」と訳される。ヴィパッサナー瞑想ということを簡単にいえば、いま自分がしていることを観察するということである。これは、心の対象を一ヶ所に集中させるサマタ(samatha、サンスクリット語ではshamatha、中国語・日本語では「止」)とセットになって、仏教的な瞑想法のひとつの基本を構成している。

■ヴィパッサナー的な瞑想法は、とくにテーラヴァーダ仏教(上座仏教)の伝統を引き継いでいるスリランカやミャンマー、タイなどでさかんに実践されている。たとえば、タイの僧院で実践されているヴィパッサナー(ウィパッサナー)瞑想の方法は、以下のようなものだ。

(0) 準備

集中的な瞑想行に入る場合には、戒律を守ることが要求される。とくに、睡眠と食事を少な目にすることによって、身体の状態を瞑想向きにする。また、外部からの感覚入力を最小限にするため、騒音のない静かな場所を選び、必要がない限り、誰ともしゃべらない。性行為や歌舞音曲などの感覚を刺激する行為は避ける。読み書きも控えたほうがいい。

(1) 四つの姿勢

ヴィパッサナー瞑想はおもに、座っているとき、立っているとき、歩いているとき、横たわっているとき、の4つの姿勢でやることができる。いちばん基本的なのは座る瞑想だが、座る瞑想と歩く瞑想を数十分ずつ交互にやるほうが初心者には長続きする。

(2)立つ瞑想、歩く瞑想

いきなり座る瞑想に入るより、まず最初は立つ瞑想・歩く瞑想から始めるのがいい。そのほうが、より日常意識からの移行が容易だからである。

まず、まっすくに立って両手を身体の前か後ろで軽く重ねる。視線は前でも足元でもなく、なんとなく斜め下に落とす。この状態を「立っている」と観察する。

かかとを上げる、つま先を上げる、足を前に動かす、つま先を床につける、かかとも床につける、その足に重心を移す、これを反対側の足でも繰り返す、という感じで、できるだけゆっくり歩く。右足、左足と交互に動くのを「右」「左」と観察する。ただし、言葉はあくまでも記号であって、「右」「左」という言葉を機械的に唱えているうちに足の動きのほうを忘れてしまったりしないこと。

(3) 座る瞑想

座り方はつまるところ背筋がきちんと伸ばせればなんでもいい。椅子に座るのになれているなら椅子でもいいかもしれない。床に座る場合は、半分に折った座布団かクッションをお尻の下に入れると座りやすくなる。いずれにしても大事なことは背筋がまっすぐになるようにすること。まっすぐにしないときちんと腹式呼吸ができない。

座っているときは、呼吸を観察する。お腹が上下する様子を、「上がる」「下がる」と観察する。それが無理なくできるようになったら、次のステップでは、「上がる」「下がる」「(体全体が)座っている」「(おしりが)床についている」の2往復を一セットにする。お腹の上下ではなく、鼻の穴のあたりに意識を集中して、空気が出入りする感覚を感じ取るという方法もある。

目は閉じると眠くなるし、開けると余計なものが見えすぎるので、その中間ぐらいの半眼に保つといい。なにもない壁の前などに座れば、目を開いても余計なものが見えないのでいいかもしれない。

(4) 横たわる瞑想

横たわる瞑想は眠くなりやすいので初心者向きの方法ではないが、寝たきりの人などはこの方法でやるという。この場合も座っているときと同じようにお腹の上下を観察する。

(5) トラブルシューティング

・脚の痛み

長時間座り続けるとどうしても脚が痛くなる。すぐに痛くなる場合、座り方には改善の余地があるが、そうではなくても、ときどきは立つ瞑想・歩く瞑想に切り替えるほうが脚の血行がよくなる。

・眠気

座る瞑想中にどうしようもなく眠くなったら立つ瞑想・歩く瞑想に切り替えるといい。ただ歩くだけでは眠気が去らない場合は、速く歩いたり、後ろ向きに歩いたりしてみる。

どうしても眠い場合には寝るしかない、というか、あまりに眠い場合には知らないうちに眠ってしまうもので、それはどうしようもない。(眠りつつも、眠りの中でも意識を保ち、夢の内容までも観察し続けることができればすごいが、これはタントラ仏教の中で発展させられてきた、夢見の瞑想という別のより高度な瞑想法である。)

・雑念

雑念が湧いてきても、それはそのままにする。無理に止めようとしてはいけない。無理に止めようとすると、余計に引き回されてしまう。呼吸や体の感覚の観察をいったん中止して、ああまた雑念だ雑念だと思ってしばらく眺めていると(雑念の内容には立ち入らずにただ突き放して眺めるだけ)それは案外短時間で消えてしまう。そうしたらまた呼吸や感覚、運動の観察に戻る。

・ビジョン、不思議な体験

瞑想が深まってくると、雑念に加えていろいろ不思議な体験がおこりやすくなる。目を閉じるといろいろな色の光が見えたり、身体から熱が湧いてきたり、身体が溶けるような感じがしたり、等々。シャーマニズムやタントラ系の瞑想はこうした体験を積極的に活用しようとするが、ヴィパッサナー瞑想ではこうした体験もまた雑念と同様にただ眺めてやり過ごす。とくにその体験が興味深かったり気持ちがよかったりすると、もっともっとと深追いしたくなってしまうが、その誘惑には乗らず、ただその感覚を、そういうものかと思って眺めていると、それもまた案外短時間で消えてしまうものだ。

※この資料は、ワット・マハータート(バンコク)、ワット・ラム・プン(チェンマイ)のお坊さんたちからの口伝を自己流に?解釈してまとめたものですが、その他に以下の資料も参考にしています。

・ウィエーク・アーソム・ウィパッサナー瞑想センター(編)2000 (2543) 『ウィパッサナー瞑想・習得の導き』チョンブリー:ウィエーク・アーソム・ウィパッサナー瞑想センター。
(日本語で読める簡潔なタイ式ヴィパッサナー瞑想ガイド。ただしタイでしか手に入らない。)

・Dhanit Yupho 1994 (2537) Self-Study Practical Insight Meditation (Vipassana-Sadhit) (4th ed.) Bangkok: Mahachulalongkornrajavidyala Press.
(これも簡潔なタイ式ヴィパッサナー瞑想ガイド。タイで出版されている英語のガイドとしては一番シンプル。)

・ローゼンバーグ, L.、井上ウィマラ(訳) 2001『呼吸による癒し:実践ヴィパッサナー瞑想』春秋社。(『アーナパーナサティ・スッタ』にもとづく瞑想法の解説書。)

もっとちゃんと修行したい人は、たとえば(上の本の翻訳者の)「井上ウィマラの瞑想空間」などをごらんください。瞑想会などの情報もあります。

 

Source: http://home.att.ne.jp/wind/anthropology/vipassanaa.htm