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チャクラと深淵


  チャクラは体の中線に沿って存在する7つの気の中枢とエリア。インド系密教系な、気の流れのシステム化。しかしこれらは人が気を捉え理解する為の、便宜的な区分であるとされる。その数が10であったり4つであったりもするのは、目的や時代による解釈の違いであろう。ここではインド系密教系の7つに区分する中でも、最新のデザインを紹介する。

  第1 ムラダラ
色は黒水晶の色。場所は股間、性器、仙骨、足。中心は女性の膣の少し入った辺り。男も相当する同じ場所がセンター。世界から気がやって来る処。ここが開いていて充実していれば、より多くのエナジーを取り込む。
  同調強調する石は黒メノウなどの黒色の石。ただしオブシディアンは黒くとも無意識に働きかける石。リシ家の黒メノウは出会った途端に自らを乗り物だと強固に主張して、以来ずっとリシに付き添い支え助けてくれている。人間よりよほど頼りになる。


  
第2 スワディスタナ
色は深い赤。中心はヘソのすぐ下。丹田、ハラ・センター。世界的にハラと言えばこの場所。下腹部全体がこのチャクラ。腹を据えたり、地に足を着けたり、肉体や精神の安定を司る。欲望や否定感情が蓄積し易く、対応する巨大なブロックをも生じる。日本はハラの国とされ、ハラに問題を抱える人間が多く、国技の相撲もハラのスポーツで、コトワザなども多く、ハラを切って死んだりした。
  石はカーネリアンやルビーなどの赤い石。深い赤色が良くシンクロするが、時には真っ赤やピンクでも強く共鳴する。つまり石次第であり、人次第でもある。


  
第3 マニプラ
黄水晶の色。中心は胃袋。チャクラは腹部全体。エナジーの貯蔵庫。ここで気が余るとエナジーは、否定的な感情や考えになって発散される。つまり創造的に使われないエナジーは、必ず破壊的になる。またやっかいな事にこのすぐ上の横隔膜が、クンダリーニ最大の難関、最強のブロックである為に、この問題は発生しやすい。要はこの上のハートのチャクラまでエナジーが通れば良いのだが。人間の社会から戦争や犯罪が無くならないのは、凡俗が1〜3番までのチャクラだけで動いているからだ。4番以上は意識的に修行をしなければ、生まれることは無い。ハートが、心が無ければ、そこには有るのは破壊だけだ。
  石は黄水晶やコハク。特にこのチャクラにはヒーリング・ストーンはエナジーの浄化として働く。コハクには砂の塊のようなモノも有って、これを胃の上に塗るとより効果的。時計回りに7周の螺旋を描くと良いらしい。

  第4 アナハタ
緑とピンク。中心は胸の中心。チャクラは胸全体と腕。ハート、心、1万年前にインドで愛と呼ばれたチャクラ。現代に流行る愛と呼ばれるモノとは何の関係も無い。緑の右胸は物質世界で恋人達を抱きしめ人を磨き、ピンクの左胸は内側で己を抱きしめ内宇宙を深め、続く第3の流れは第5のチャクラとして働く。また全てのチャクラの中心であり、これらのバランスを司る。
  右の石はマラカイトなどの緑色の石。マラカイトは肝臓や腎臓などにも共鳴して、肉体の浄化も行ってくれる。左の石はローズ・クォーツやムーン・ストーンなどのピンク色の石。


  
第5 ビシュダ
薄い青、青緑。中心はノド。チャクラは首全体。アナハタの第3の流れ。表現、芸術、美、創造のチャクラ。アナハタの影であり、アナハタと共に開き充実するチャクラ。一説には幻聴なども司るらしい。リシは一時期、夢のように美しい歌声や音楽を聴いたが、あれは何だったのだろう。
  石はアクアマリンやターコイス。


  
深淵
リシの知る限りでは唯一、カバラにハッキリと伝わる概念。「セフィロト(=生命の樹)」の図形の中で、上の3つの中枢と下の7つとを分け隔てる帯。チャクラでは無いと言って良いと思うが、密接な関係が在る。セフィロトも人間を気の中枢の連体として捉えていると思われるが、中枢の数が違っていて、どれどれが対応しているのかは不鮮明。一応5番の上としたが、4番の上である可能性も十分に有る。ただ人の体を見れば判る通り、人の中心線にある肉体の部分の中で、首だけが極端に細い。細く長く美しい首の持ち主が、「だから私の首は気を通し難い。」と自慢していたのを思い出す。加えて首のチャクラだけがそれ自体では存在しない影のチャクラだ。深淵はビシュダそのもの、ビシュダの本当の姿かもしれない。この闇にアナハタの第3の中心が輝くので在れば、示唆に富む。

  ここの働きは絶望、停止、苦痛だ。なぜこんなモノがあるのか、それはリシにも解らない。ただこれは歴然と実在しているだけだ。表面的な理由はハッキリしている。それは求道者が凡俗と相容れないからだ。
  求道者にとって凡俗は、もはや人間では無い。この美しく輝く世界の一部ですら無い。彼等は端に鈍く醜く、決して生き始めようとはしない、無価値の存在だ。逆に凡俗にとって求道者は、憎しみや差別の対象でしか無いようだ。だが実際には彼らは嫉妬しているに過ぎない。彼等がどんなに願っても決して手に入らない喜びの洪水に求道者は住まう。例え彼等がここに身を投じても人格崩壊するだけだ。実際にリシに不用意に近づき、発狂した人間が数人いる。リシにとっては当たり前の状態が、彼等の心のタガを外しバラバラにしてしまったようだ。しかしそれは彼等のより本当の姿を露呈し、抱えた問題を表面化する事によって、より容易に進化出来る姿に立ち返らせたと言えよう。後は本人の力量次第だ。結局は両者の間には理解も歩み寄りも不可能だ。表層的には必ず凡俗にとっての致命傷となり、探索者も多大な自己浪費を強いられるダケだ。凡俗が目覚め、求道者へと変容を遂げ、身を持って理解し一致をする以外に、相互理解は有り得無い。
  結局、絶対少数の求道者は孤立し、いかなる社会的活動も不可能になる。そしてそれは人間的個人的活動の停止をも意味する。他者に価値が無ければ、自分にもまた価値は無いのだ。客体が無ければ主体もまた消えて行く。こうして求道者は物質世界では停止、絶望し、苦痛だけがただ有る、言わば深淵に住まうことになる。リシは3年間ここに暮らした。後少し精神が弱ければ、死ぬか、狂うか、犯罪者にでもなって居ただろう。自分には魂の家族が居たから、多少はマシだったかも知れない。

  しかしとうとう道をも見失い、このままではあまりにも馬鹿げていると思い、求道者同士、手をつないでこの唐変木な痛みを和らげ、また進化を促進出来ると思い、探索者の港をリシは拓いた。そして唐突にリシ自身の道もまた開かれた。そしてカバラは告げた、力を他者の為に使えば深淵を越える、と。
  思えばゴータマ・ブッダが己の為だけに力を使えと主張し(小乗仏教)、突然に他者に手を差し伸べろと教えを翻したのは(大乗仏教)、主な弟子が皆この深淵に堕ち、用意が整ったからに他ならない。ブッダは最も弟子に恵まれた覚者で、十数人もの弟子が悟ったと言われる。小乗と大乗は宗派として分かれてしまっているようだが、そのままでは何処にも辿り着けない。この2つは連なってこそ初めて、道と成るのだ。


  
第6 アジュナ
紫水晶の色。中心は眉間の辺り。チャクラは顔と頭全体。第3の眼。ここで要注意! アジュナは発達につれて額から肉眼の間へと降りて来る! よって肉眼の高さが最高位置! リシは若い頃、額の方が高位位置と誤解して、自分で下から上へと動かしてしまい、以来10年ほどそのままだった。その間不必要に不幸だったのは言うまでも無い。ここは瞑想と数々の超能力を司り、他人の運命でさえ自在に変えてしまう。人はエナジー的には右が男で左が女。それぞれが十分に成熟して額で合流すると、アジュナが開くと言われる。天使が男でも女でもあるのは、ここに由来すると思われる。また、6番まで開いた人であれば、天の使いに最も相応しい。リシはもともと半開きなので厄介だ。心底願えば必ず何でも叶うのだが、この世にそんな願いなどそうは無い。中途半端で人を巻き込みメチャクチャにしてしまうので、近年は変えるのは天気だけと決めている。ここは欲望を落とさねば全開しない。美女がキャンバスのリシには当分無理だ。
  石はアメジストやラピス・ラズリなどの、深い青や紫系の石。顔や頭には、手や石を直接くっつけない方が、良く共鳴する。

  第7 サハスララ
無色透明な水晶の色、白色。中心は頭丁。物質世界からの超越、悟りを司る。他のチャクラが集中型であるのに対し、ここは拡散型であるらしい。その為に集中力が無くなり体を動かし難くなったり、数を数えられなくなったりする。エナジーやその他の様々なモノを取り入れることも可能なようだ。
  石は透明か白色に濁った水晶。
この他は未だ不明。リシは未だとても悟り切れないのでここはずっとホッタラかしだったが、ある時人生が退屈を極めたので何となく始めてしまった。現在探索中。

Source: http://www2s.biglobe.ne.jp/~rishibue/search-cakra.html