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ヴィパッサナー瞑想について

ヴィパッサナー瞑想法は、心に真のやすらぎをもたらし、幸せで充実した生活を送るための簡単な実践法です。ヴィパッサナーとは「物事をあるがままに見る」という意味で、自己観察を通して心のわだかまりを解きほぐす、実際的な方法です。
折につけ私たちはみな、いらだち、不満、不和を経験します。そしてそのような苦しみにある時、それを自分の内だけにとどめておかず、他の人々にもおすそ分けしようとします。これが正しい生き方であるはずがありません。私たちはみな、自分自身も、また周囲の人々とも幸せに暮らしたいと願っています。人間は社会的な生き物ですから、他の人々と共に生活し、またお互いに影響しあって生きているのです。それでは、やすらぎと和を保って生活するにはどうしたらよいのでしょうか。どうすれば、自分自身の内にも、また周囲ともやすらぎと調和を保つことができるのでしょう。

ヴィパッサナーは、私たちにこのやすらぎと調和をもたらします。それは心を浄化し、苦しみをその根から絶って私たちを解放してくれます。ヴィパッサナーの修行をすることで、心の汚れから完全に解放されるというゴールに徐々に近づくことができます。

歴史的背景
ヴィパッサナーはインドにおける最も古い瞑想法の一つで、二千五百年前にゴータマ・ブッダによって再発見されました。この瞑想法は、ブッダがその生涯の四十五年間修行し、また教え続けた技の真髄です。ブッダの時代のインドにおいて、数多くの人々がヴィパッサナーを修行することで苦しみという束縛から解放され、人間として豊かな人生を生きることができました。時が経つにつれて、この教えは隣国であるミャンマー(旧ビルマ)、スリランカ、タイ、またその他の国々へと広まり、そこでも同じ効果をもたらしました。

しかし、ブッダの時代から五世紀後には、貴重な遺産であるヴィパッサナーの教えはインドで失われ、同様に、他の国々でも教えの純粋さは失われました。ただミャンマーにおいては、師から弟子への直伝という形で純粋な形を保ったまま、二千年以上の間守られてきた、と伝えられています。

近年になって、ミャンマーで伝え教えられてきたそのヴィパッサナー瞑想法が、S.N.ゴエンカ氏により、インドをはじめ八十以上の国の人々に紹介されることになりました。ゴエンカ氏は、ミャンマーの高名なヴィパッサナー指導者であったサヤジ・ウ・バ・キン(「サヤジ」は在家者の敬称)からヴィパッサナーを学び、指導者としての任命を受けました。サヤジ・ウ ・バ・キンは1971年 に亡くなりましたが、ヴィパッサナーをその発祥の地インドに返すという彼の夢は存命中にかなえられました。ヴィパッサナーの教えがインドに再びもたらされ、それが多くの問題から人々が解放される助けとなることを彼は強く望んでいました。また、この瞑想法がインドから再び世界中へと広がり、人々に恩恵をもたらすだろうと確信していました。

ゴエンカ氏は1969年にインドでヴィパッサナーを教え始め、その十年後には、インド国外でも指導を始めました。その後四半世紀の間に、何百もの十日間コースが開かれ、また彼が養成した多くのアシスタント指導者たちも世界中で何千というコースを行ってきました。1996年現在、ヴィパッサナーのセンターは世界中に四十以上あり、日本にも京都府瑞穂町にセンターが設立されています。人が人としてより良く生きることを教えるヴィパッサナー瞑想法は、長い間ミャンマーにおいて守られ、今や世界中で実践されています。ますます多くの人々が、やすらぎと幸福をもたらすこの生きる技を学ぶ好機を得ているのです。

修行の方法
ヴィパッサナー瞑想法を学ぶためには、ゴエンカ氏によって任命された指導者のもとで行われる、十日間の合宿コースに参加する必要があります。ヴィパッサナー瞑想法の真髄を学び、それを日常生活に活かすには、十日間継続して修行することが最低限必要だからです。コース中、参加者はコース地にとどまり、外部との接触を持ちません。読み書きをせず、また宗教儀式やその他の修養も一切中止し、約十時間の瞑想時間とそれを細かく区切る休憩時間という毎日のスケジュールに従います。最初の九日間は沈黙を守り、他の参加者との会話やコミュニケーションは止められますが、瞑想法を明らかにするために指導者と話すことはできます。また食べ物、宿泊施設、健康などに関してはいつでもコースの世話役に相談できます。

修行は三つの段階に分かれています。第一段階として、参加者は他人や自分に害を与える行動を差し控える修行をします。五つの道徳律ー生き物を殺すこと、盗みを働くこと、嘘をつくこと、全ての性的行動、そしてアルコールや薬物の摂取を控える修行をします。沈黙を守り、道徳律を守ることによって、荒々しい心を落ちつかせることができるようになります。そして自己観察の修行が無理なくできるようになります。

第二段階は心をより安定させ、集中させる修行です。このために心を一つの対象物にとどめる訓練をします。その対象物とは呼吸です。息が鼻孔に入り、そして出ていくこと、自然な息の流れを感じとります。常に変化する現実のありさまを呼吸をとおして観察します。この訓練によって集中力が獲得され、四日目に入るころには、心は落ち着き、より集中して、ヴィパッサナーの修行である第三段階に入る準備ができます。第三段階では、身体中の感覚を観察し、変化するという性質を経験を通して理解して行きます。同時に、感覚に対して反応・反発しないことを学び、バランスの取れた心を育みます。それは無常、苦しみ、そして無私という普遍的な真実の体験をもたらし、この体験を通じて真実を理解することが心の奥底によどむコンプレックこス、濁りの浄化をもたらします。

これは心の訓練です。身体を健康にするために体操をするのと同様に、健康な心を育むためにヴィパッサナーの訓練をするのです。

参加者は、毎日段階を追って瞑想方法を習得していきます。夜には一日の訓練のまとめとして、ゴエンカ氏の講話テープを聴きます。参加者はコース開始から九日間完全な沈黙を守ります。十日目には沈黙は解かれ、日常生活に戻る準備をします。コースは十一日目の朝に終了します。


コースの運営
全てのコースは寄付によって運営されています。コースに参加するための費用は、食費や宿泊費を含めて一切請求されません。コースを終了し、ヴィパッサナーの恩恵を実際に経験した人の、他の人々にも同じ機会を与えたいと行う自発的な寄付によって、全ての費用は賄われています。指導者やアシスタント指導者がコースから報酬を得ることも一切ありません。コースの手伝いをする人も同様です。みな、その時間と労力を寄付として提供しているのです。
このように、ヴィパッサナーのコースは商業主義に染まることなく運営されています。


教えの無宗派性
ヴィパッサナーの教えは仏教の伝統のもとで守られてきましたが、どのような宗派にも属しません。ヴィパッサナーは様々な背景を持つ人々に受け入れられ、活かされる普遍的な瞑想法です。ブッダはダンマ(方法、真実、道)を説きました。全ての人々は共通する問題を抱えています。それゆえ、その問題を根絶する実際的な方法も、全ての人々に適用できなくてはなりません。何よりも、ヴィパッサナーは修行者が指導者に頼ることを要求しません。むしろ逆に、それを修行する者が自己を拠り所にするよう教えます。ヴィパッサナーのコースはそれを真剣に学ぼうとする全ての人々に解放されています。人種、信仰、また国籍の区別はありません。キリスト教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、ジャイナ教徒、イスラム教徒、シーク教徒、仏教徒、またその他の宗教を信仰する在家の人々や、どんな宗教を持たない人々もコースを受けています。同じように、僧や尼僧、そして聖職者も参加しています。みなヴィパッサナーの修行を行い、そこから恩恵を得ています。

病は普遍的なものです。それを治す治療法もまた普遍的なものでなければなりません。私たちが怒りを覚えるとき、それはキリスト教徒の怒り、ヒンズー教徒の怒り、中国人の怒り、またアメリカ人の怒りと区別できるものではありません。同様に、慈愛や思いやりの心は特定の社会に属する人、特定の教義や信条を持つ人に限定されるものではありません。それは心を清らかにすることによって、誰にでも等しく現われてくる、人の持つ普遍的な性質です。ヴィパッサナーの修行をする人は、どのような背景を持つ人であっても、修行によって自分がよりよい人間になったことに気づくことでしょう。

現在の世界情勢
科学技術の分野、交通、通信、農業、また医学分野の目覚ましい発展は、物質的なレベルにおいて人々の生活に大きな変革をもたらしました。しかし、このような進歩は表面的なものでしかありません。現代人は、経済が発展した裕福な国の人々でさえ、大きな心理的、感情的ストレスを抱えて生きています。

人種、民族、宗派、また階級差別をめぐって起こる問題や対立が、全ての国々において人々に影響を及ぼしています。貧困、戦争、武器による大量破壊、病気、麻薬中毒、テロリズムによる脅威、急激な環境破壊の進行、そして一般的な道徳観念の低下などが人々の将来に暗い陰を落としています。新聞の第一面をひとめ見るだけで、地球上の人々の苦悩や絶望の深さを読み取ることができます。解決不可能にみえるこのような問題から抜け出る方法はないものでしょうか。

どの国の人々も、みなやすらぎと調和を得る方法を求めています。健全な人間性を取り戻し、社会的、宗教的、また経済的なあらゆる種類の搾取から解放された環境を作り出す方法。一人一人のうちにやすらぎと調和をもたらすヴィパッサナーの実践はそこに明らかにひとつの答えを出しています。

ヴィパッサナーと社会変化
ヴィパッサナーは苦しみからの解放の道です。それは苦悩の元である渇望、嫌悪、そして無知を取り除きます。この瞑想法を修行することによって、少しずつこうした苦悩の根を取り除いていきます。ですからヴィパッサナーを修行する人は誰でも緊張に満ちた生活から抜け出て、幸せで健康な、そして生産的な生活へと導かれていきます。

その顕著な例として、インド最大の刑務所、ニューデリーのティハール刑務所があげられます。この刑務所では、ヴィパッサナーの十日間コースが継続的に行われています。ここでは1994年に、千人以上の囚人が参加した記念すべきヴィパッサナーのコースが行われ、その後、コースを継続して行うためのセンターが刑務所内に開設されました。現在では、月に二度の十日間コースが行われています。

刑務所内にヴィパッサナーのセンターを開設するというユニークな発展は、1975年にゴエンカ氏がジャイプールの中央刑務所において120人の囚人を対象にコースを行ったとに端を発しています。これはインドの刑罰史において初の試みでした。続いて1976年と77年には、ジャイプールの警察学校においても上級警察官のためにコースが行われ、また中央刑務所において囚人のために二度目のコースが行われました。ラジャスタン大学とインド工科大学によって社会学的研究がなされ、ヴィパッサナーは犯罪者が社会の健全な一員となるための効果的な更生方法となることが明らかにされました。

ヴィパッサナーが社会を変える効果を持つもう一つの顕著な例として、ゴエンカ氏の先生であり国家公務員であったサヤジ ・ウ ・バ・キンの例が挙げられます。彼は当時のビルマ連邦において、政府のいくつかの省の長官を兼ねていました。彼は部下にヴィパッサナーを教えることによって高い義務意識や規律、また倫理感を浸透させることに成功しました。効率性が大きく高まり、汚職はなくなりました。同様に、インド、ラジャスタン州の内務省は、要職にある幾人かの役人がヴィパッサナーのコースに参加してから、省内に大きな変化がみられたことを報告しています。1996年には、インドで最も商工業が発達しているマハラシュトラ州において、仕事によるストレスを解消するために、役人が三年に一度、二週間の有給休暇を取りヴィパッサナーのコースに参加できることが発表されました。

また、インドでは多くの子供たちにヴィパッサナー瞑想の準備となる呼吸観察の瞑想法が教えられています。親も教師も、参加した子供たちの集中力が向上したこと、また様々な問題が減少したことを報告しています。ヴィパッサナー研究所は、健康、麻薬中毒のリハビリテーション、ビジネス経営などについて、ヴィパッサナー瞑想が肯定的な効果をもたらした例を報告しています。

このような試みは、社会の変化がまず個人の変化から始まることを明らかにしています。講義や説教によって社会を変えることはできません。規律や道徳的な行いの大切さは、ただ教科書を読ませるだけで学生に納得させることはできませんし、罰への恐怖から犯罪者がよい市民になるということはありません。民族や宗派の対立も刑罰を科すことによって解決されるものではありません。歴史はこのような失敗を繰り返し続けているのです。

大切なのは個人です。人はみな慈愛と思いやりを持って接し接されなければなりません。そのためには、一人一人が人間として向上するための訓練を受ける必要があるでしょう。しかし、そこに強制があってはなりません。「変わりたい」というそれぞれの自発的な思いがあってはじめて、人は変わることができるからです。そこで、人は変化をもたらし心を浄化する方法の手ほどき、つまり自分自身の本質を究明する方法を伝授されるべきでしょう。これこそが唯一、持続する変化をもたらします。

その方法がヴィパッサナーです。人は、ヴィパッサナーにより心や性格を変えることができます。そのために努力をしようと望む人であれば、誰でもその好機を得ることができるのです。

Source: http://www.jp.dhamma.org/intro.html