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誰でも「神」になれる国〜日本人の宗教観

年明けまして、おめでとうございます。本年も「帝國電網省」を、より一層お引き立て下さります様、宜しくお願い申し上げます。・・・と言う訳で、平成11(1999)年を迎えましたが、皆さんはもう初詣はお済みでしょうか? 初詣と言うと、やはり神社仏閣への参拝が多い事と思いますが(ちなみに、私は神社派です・・・)、それにしても、本当に日本人は不思議ですよね。例えば、
 

 

代表的な年中行事を見てみると・・・
 

 

時季 行 事 宗 教
1/1〜3 初詣(正月三が日) 神道・仏教
2/3 節分(豆撒き) 神道・仏教
7/15 于蘭盆(お盆) 仏 教
8/15 于蘭盆(月遅れ盆) 仏 教
8/31 夏越(なごし)大祓(おおはらい) 神 道
11/15 七五三 神道・仏教
12/24 クリスマス・イブ キリスト教
12/25 クリスマス(キリスト聖誕祭) キリスト教
12/31 年越し大祓(大晦日) 神 道

如何でしょうか? 大部分の日本人は仏教徒(大抵の場合、葬式はお坊さんにあげてもらう)な筈なのに、初詣は神社へ参拝し、彼岸には墓参(菩提寺へも寄るでしょう)をし、キリスト教徒でもないのにクリスマスを楽しむ(結婚式を教会で挙げると言うのもありますね)・・・なんて方も結構多いんじゃないでしょうか? こんなスタイルを外国人に見せると、とても理解に苦しむんですよね。なぜなら、自分の信仰する宗教以外の行事なんて、普通はしないからです。先程の例からすれば、仏教徒なのに、神社へ参拝し、キリスト教の教会で挙式する・・・訳で、こんなハチャメチャな宗教倫理(道徳)観を持つ人種は世界中、探しても日本人だけで(おそらく)、良く言えば、異宗教に対する「寛容性」、悪く言えば、宗教に対する「無節操」と言う訳です。
 

て、どうして日本人は宗教に対して、これ程迄に「無頓着」(先述の通り、様々な宗教を、生活の中に受け入れてしまう)なんでしょうか? 私はこれを解く鍵は、日本人が持つ独特の「宗教観」だと思うのです。と言う訳で、今回は日本人がなぜ、かくも異宗教を拒絶する事無く受容出来るのか?について考えてみたいと思います。
 

ず第一に、日本人の宗教観で言える事は、その根底に「神道」が根ざしていると言う事です。これがどう言う意味かと言うと、飛鳥時代、日本に仏教が帰化人層によって「導入」(伝来ではない)され、崇仏(仏教支持:聖徳太子・蘇我氏)・廃仏(神道支持:物部氏)両派の抗争が、崇仏派の勝利に終わった後も、神道は無くなりませんでした(仏教発祥隆盛の地・インドでは、既に仏教が事実上「死滅」している)。と言うよりも、インドから中国、朝鮮半島を経て日本に入ってきた「仏教」は、日本古来の神道と融合し、独自の「日本仏教」として発展してきたのです(この辺りは、土着の宗教と融合発展したラマ教(ティベット仏教)も同様)
 

仏教は神道と融合する事で日本独自の発展を遂げた
 

 

日本(神道)───────────┬──────────神 道
                 │
印度(仏教)──日本(飛鳥仏教)─┴─奈良・平安仏教──鎌倉仏教

又、日本独自の仏教(神道)観に、「神仏習合説」や「本地垂迹説」(ほんちすいじゃくせつ)と言うものがあります。これ等は早い話が、神道の「神々」と、仏教の「如来・菩薩」は、現れる時の「姿」が異なるだけで、本質においては「同じ」であると言うものです。つまり、日本人は「神道」と「仏教」と言う異なる二つの宗教を、「排他」する事無く「共存」させた訳です。
 

日本仏教は「神道」という"OS"(土台)の上に乗っている?
 

 

  日本仏教
(アプリケーション?)
神   道
(カーネル=オペレーティングシステム?)

つまり、日本人が異宗教に対して見せる「寛容性」は、根底に「神道」と言う「バックボーン」(土台)を持っているが故の一種の「余裕」(又は安心感)と言えるのではないでしょうか?
 

に、日本人の宗教観で言える事(特異性)は、「神」に対する観念です。これがどう言う事かと言うと、キリスト教(及びユダヤ教)やイスラム教は、基本的に「一神教」です。対する神道は「八百万神」(やおよろずのかみ)と言う言葉の通り、「汎神教」(はんしんきょう:多神教の部類)なのです。
 

 

「神」に対する観念の違い
 

 

宗 教 分類 「神」に対する観念(スタンス)
神 道 汎神教 山海草木に至る迄、ありとあらゆる物に「神性」を見いだす
仏 教 多神教 多種多様な如来・菩薩を信仰する
ユダヤ教 一神教 唯一神ヤハウェ(エホバ)以外は絶対に認めない
イスラム教 一神教 唯一神アッラー以外は絶対に認めない

「汎神教」の神道では、天照大神(アマテラス-オオミカミ:皇室の祖先神とされる)等に代表される「天津神」(あまつかみ:天神)、大国主命(オオクニヌシノミコト:現在は「大黒様」と呼ばれている)等に代表される「国津神」(くにつかみ:地祇)や、八幡神(ヤハタカミ:一説に「ヤハウェ」ではないかと言われている)等の出所不明の神に至る迄、ありとあらゆる「神々」を認めています。そして、神道と異宗教との最大の違い、それは、
 

神道は生身の人間誰もが「神」になれる!!
 

と言う事なのです。その良い例が、靖国神社に祀(まつ)られている「英霊」『35.公人か? 私人か? 靖国神社閣僚公式参拝考』であり、菅原道真(すがわらのみちざね:天神様)や平将門(たいらのまさかど:日本史上最大の怨霊)の存在なのです。
 

後に、日本人の宗教観で言える最大の特徴は、日本人と「神」との「関係」です。日本の神話に、「天孫降臨」説話と言うものがあります。これは、「天」(「古史古伝」の雄・『竹内文書』では、「天」を文字通り「宇宙」としている)に居た「神々」(『竹内文書』やE.V.デニケン風に言えば、「宇宙人」?)が、日本列島を作った(国生み)上で、そこに降り立ち(降臨)、「日本」と言う国を建国(本来は「肇国」と呼ぶ)したと言うものです。そして更に、地上に降りた「神々」が「天皇」(皇室)も含めて日本人(つまりは「人間」)となったと言うのです。この説話を読むと分かりますが、そこには「神」と「人間」との間に明確な「ボーダー」(垣根)と言える物が無いのです。
 

 

「日本人」(人間)と「神」はボーダーレス!?
 



天 皇

日 本 人


 

つまり、日本人は無意識の内に「神」と繋がっていると言う訳です。こう言った独特の「宗教観」・「神観」を持っているからこそ、日本人は異宗教をより自然な形で受容出来るのではないでしょうか?


 

   余談(つれづれ)
 

ギリスはヘレフォード寺院に、とある一枚の古地図(世界地図)があります。その地図は多分に抽象的で稚拙な物なのですが、不思議な事に「極東」−「日本」に相当する場所に、なぜか、"HEAVEN"(天国)と記されていました。日本人は元来、自国を「神国」・「神州」等と呼んできました。これが一種の「国粋主義」的産物と言われてきたのですが、先の古地図では、文字通り「天国」(キリスト教で「天国」とは、神のまします国の事)と記されていたのです。又、秦の始皇帝が晩年、方士・徐福に命じ、大艦隊をもって「不老不死の妙薬」を探しに行かせたのも、当時、「扶桑」と呼ばれていた日本でした。ひょっとしたら、「国粋主義」的産物と一蹴されている「神国日本」と言う言葉は、案外、当を得ていたのかも知れません。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/shintoism.html